「センスが無い」と思う、そのセンス

お友達とお出かけしたある日、
同じ景色を二人で眺めて携帯で写真を撮った時、彼女がこう言いました。

「あー。ダメだなあ、私、写真を撮るセンスが無くてー」
「文章も上手く書けないからSNS投稿はほんと無理で」って。

その言葉を聞いて、わたしの中に浮かんできたことがあって思わずこう伝えました。

「そうなん? “センスが無い”って感じるってことは、
その感覚が“分かる”ってことやんなあ。
それってもう、センスあるってことやと思うよ」

彼女は「へ?」と言ってたけど。

数日間、わたしはこのことを見つめてました。
 

わたしは、
「できない」と感じるときの奥には、
「こうだったらいいのにな」っていう、
自分なりの美意識や感覚がちゃんとあるんじゃないかなと思っています。
 

何がセンス良い写真か、どんな言葉が心に響くか

そんなことをちゃんと感じ取ってるからこそ、
「自分はまだそこに届いてない」と感じるのかもしれない。

その感度って、わたしは“才能”のはじまりだと思う

センスって、最初から完成されているものじゃなくて、
「それいいな」「好きだな」「なんかちがう氣がするな」
そんな風に感じてそれを繰り返す中で、もしかしたら少しずつ感性が磨かれていく

自分に厳しい声の中にも、
ほんとうはやさしさが隠れていること、あるよね。

そんなこと思ったりしています。

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